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風花の丘の四季 [レコーディング日記]

丹波運動自然公園
30年以上前から、何度も訪れていた場所。
テニスの仲間達と、白球を追い、汗を流していた場所。
京都市内から小一時間で出かけられる、自然豊かなスポーツをする公園という
認識にしか過ぎなかった。

そんな場所が、風花のアルバム ~心の花~の、
ジャケット&ブックレットの、撮影場所になった。
風花にとっての、大切な場所になった。
また、その場所を、私たち同様に、大切な場所、特別な場所と、
思ってられる方がいらっしゃいます。

ジャケットを撮影して下さった、カメラマン・大塚英亀さん。

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※撮影場所になった、いきさつ、撮影当日のお話なでは、レコーディング日記の、〜掌に残る夢まだ 道の途中 act-19〜
書いています(^_^)
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丹波運動自然公園・ピクニックの丘。
季節がいい時には、ピクニックのファミリーで賑わう場所。
撮影の日は、真夏なので、私たちの貸し切り状態だった。

撮影が終わった後に、

「ここを、風花の丘とネーミングしましょう。そして、あの木は、風花の木」
と、大塚さんがおっしゃった。

「ナイス!!! そうですねっ!! こっそり、、看板作りましょう---(^_^;)」

「四季を撮影してみたいですね。雪景色もいいでしょうね。ただ、行くのに根性いりますけど、、」

私たちの大切な場所。
残念ながら、風花のふたりは、まだ、夏以降、訪れてませんが、
カメラマンの大塚さんは、四季を追って下さってます。

写真で見る、夏・秋・冬、、、
同じ景色の時のうつろい。
季節には色がある。

私たちの大切な場所の、素敵写真を、皆様に、、、

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ジャケット

~夏~  
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~秋~
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~冬~
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Photo:大塚英亀

大塚さん。
ありがとうございます----っ。
春は、是非、一緒に行って、ジャケット春バージョン撮影したいです(^_^)

風花の丘に、春に訪れる時、わたしは、どんな夢描いているのだろうか、、
薄紅色の夢の花びら、、、 舞っているのだろうか-。

来る春。待つ楽しみひとつ。

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レコーディング日記 ~完~ [レコーディング日記]

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掌に残る夢 まだ道の途中 ~act-2~  [レコーディング日記]

2012年物語 最初の日 〜想〜

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広く高く 雲ゆらゆら 翳りない空の青
掌に残る夢 抱きしめて
どこまでも 歩いて行こう
上を向いて、強い心で高く高く、、、
--------------
20121.1のブログに、こんな事を記していた。

2012年は、大きな扉を開ける年。
迷いもある。不安もある。大丈夫なのか?
少しの揺らぎはあるければ、そう心に決めていた。
いつもと違う年明けだった。

ライブ活動を始めてから、いつかCDを作りたいという夢が芽生えていた。
年齢的なものもあり、近年、その想いが強くなっていった。
ミュージシャン仲間達が、CDを発売されるのを羨ましくも思ったし、
また、ライブに来ていただいた方から、
「CDはないの?」
と、数多く、お声をいただくようになった。

最初は、スタジオ録音など考えもしなかった。
クリック聞いて、歌とピアノを別々に録音する手法しか思い描いてなかったし、
自分には無理だと思ったし、自分にはほど遠い世界だと思ってた。
弾き語りスタイル、ライブ感覚で録音=ライブ録音のCDというものがベストだと思っていた。

ライブ活動の中で、ライブをライン録音したものを、何度か、
ベガ・ミュージックエンタティメントの多賀谷さんに聞いていただいたけれど、
いつも、いい答えは返ってこなかった。

羽衣さん、思いっきりが必要です。
スタジオで録音しましょう。
菅平で録音しましょう。

と、おっしゃっていた。

確かに、自分達の演奏力もだけれど、マスタリングまでしたものもあるけれど、
自分でも、納得いく音ではなかった。
内容的にも、同じ曲想のものばかりであったり、
音の花の蕾にもなってなかったのかもしれない、、、。

47歳で歌い出した時に、
「こんな歳から歌いだすのやから、中途半端な事はできひん。かなりの努力が必要や。」と思った。
2011年の秋頃から、
「CDも中途半端なもの作るより、一生に一枚かもしれんし(^_^;)
プロの手に委ねて、スタジオ録音したCDを作ろう。」
と、考えの転換をしていた。

思いが熟し始めた頃、2011年12月に、ベガ・ミュージックエンタティメントの多賀谷さんが、
プライベートで、京都に来られた。

すごいタイミング、、、
その前後は、ライブ等で予定が詰まっていたのに、来られる日だけ空いていた。
プライベートでこられていたのに、会ってすぐに、CDの相談をした。
何時間話ただろうか、、
夕方からお会いして、日付が変わる頃まで、話していたと思う。

「菅平で録音をしましょう。オリジナル曲ばかりでなく、カヴァー曲も3.4曲入れましょう。
その方が親しみやすいから。エンジニアは木村さんで、ゲストに萩谷さんも入って
いただければいいですね」

多賀谷さんの頭の中には、ビジョンが描かれていた。
もしかしたら、わたしが、いつか言い出すと、思ってられたのかもしれないな、、。

「はい。考えてみます。よろしくお願いします。」

人生。タイミング。
今までの迷いとかは何だったのか?と思えるほど、
CD制作に向けて、話は進み出した。

不安の方が大きい。
わたしら、、大丈夫なん??????
思えば思うほど、不安が膨らむ。
今だったら、戻れる、、、
けれど、新しい扉の向こうの景色も見たいから、
大きく一歩踏みだそうと決断した。


2012.1.19 バースデー前日。
多賀谷さんに、こんなメールを送った。
新しい歳になるまでに、次の一歩に向かいたかった。
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2012。
わたしにとっては、とっても大きな扉を開けようと思います。
ただ、考えれば、考える程、扉の向こうは、雲海で、
少し風景を見ただけで終わってしまうのではないかと、
不安の方が多いですが、思い切って、突進していこうと思います。
扉の向こうの景色を見てみたいです。
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2012。
年明けと共に、大きな扉が開きました。
どんな景色が待っているのだろうか、、、

いつもと違う季節のうつろいになるのだろうな--。


つづく・・・



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掌に残る夢 まだ道の途中 ~act-1~  [レコーディング日記]

ある日、DVDの探し物をしていたら、
ラベルのないDVDが見つかった。
何だろ?と、再生してみたら、2004年12月4日。
7年半前のわたしが歌っていた

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フレッシュ(^_^) 若い、、(^_^;)

当時、ピアノ弾きとしての活動はしていたけれど、
歌う活動始めてない頃で、また、歌う活動など考えてもいない頃で、
年に一度の仲間内のライブで、みんなへのサプライズで、
わたし自身も、いつもと違った事をしてみたいと思い、
当時、はじめて作ったオルジナル曲を弾き語りしていた。
風花のメンバーでステージに出演していた。

歌う活動を始めたのは、それから1年後、、、。

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~ONE THE WAY~    2004.7 羽衣

この道はまっすぐ続く 果てしなく続く
あなたの背中見つめ わたしは歩いてゆく
もうちょっとだけ 頑張ってみようかな
もうちょっとだけ 頑張れる気がするよ
虹の架け橋が見えたそんな気がするよ
一歩づつ 少しづつ 歩いてゆきたい

夢を夢と呼んでは 何も起こらない
道は遙か遠くだければ まっすぐ繋がってはず
もうちょっとだけ 頑張ってみようかな
そう あなたの背中が 少しづつ近づいたような
虹の架け橋が見えたそんな気がするよ
一歩づつ 少しづつ 歩いてゆきたい
わたしは夢に向かい 一歩づつ歩いてゆく♪
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そう。夢に向かいずっと歩いて来た。

時は流れ夢のカタチは違ってきたけれど、
夢の丘に、もうすぐ辿り着く。
ひとつの夢の花が咲く。

わたしの好きなアーティストがいつも仰っている
~強い夢は叶う~

あの頃の自分に伝えてあげたい。
まっすぐにまっすぐに歩いていれば、
夢は叶うと伝えてあげたい。
大きな大きなプレゼントを持ってやってくると伝えてあげたい。

古い映像の中、歌い始め元年の自分に出会い、
もう一度、初心な気持ちに戻りたいと思った。
偶然みつけたのではなく、必然的に見つかったDVDなのかもしれないな。

つづく・・・

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50歳を過ぎてから夢を叶える(プロデューサー多賀谷氏の手記より) [レコーディング日記]

~夢は一日にしてならず~

風花アルバム誕生までの秘話を、アルバムのプロデューサーが書いて下さっています。

読み返しながら、過去の自分と出会っています。
そして、歩いて来た道全てが、今に繋がっているのだと実感しています。
夢は一日にしてならず、、、 強い夢は叶う、、、

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50歳を過ぎてから夢を叶える
(プロデューサー多賀谷氏の手記より転載さてていただきます)

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夢を実現するのはいくつになっても大変なことで、そして価値あることです。
これから一人の女性とその連れ合いとの夢への歩みを記してみたいと思います。

彼女に初めて会ったのは銀座スイング、私の師匠でもある萩谷清氏のバンド
Kiyoshi Hagiya SuperBand(現在のSPB)のライブでした。
彼女は京都からはるばる駆けつけて来たのでした。
それは今から12年程前になります。

彼女は倉田信雄さんのファンであることはわかりました。
早速倉田さんとのツーショットの写真を倉田さんにお願いしたわけです。
彼女はその頃ピアノを弾いていて、京都でSTUFFのコピーバンドらしいことを
やっているので、SPBのファンなのだろうと疑いもしませんでした。

そして彼女は萩谷清さんの後援会件ファンクラブの清柳会に入会するのでした。
彼女のバンドもSPBの演奏ナンバーであるBRAZILIAN STOMPなども演奏していた
ことから、同じ清柳会の澤辺さんと私と彼女のご主人とのユニットGTORを組むことになるのでした。
その頃はまさか現在のような展開になるとは夢にも思いませんでした。
彼女は常に夢を追い求め現実少しずつ前に進める人でした。

まずは、銀座スイングに京都から来たことが彼女の人生を変える大きな一歩だったのだと思います。

しかし、其の後の展開はさすがに夢にも思いませんでした。

(その弐)
菅平とGTOR
2002年の秋には清柳会という組織で大人の遠足に行こうということになりました。
行き先は菅平のホテルマッキンレー、ここのオーナーは流石(さすが)さんと言って、もともとジャズギターを弾いていた人で、ここに移り住み
スキー教室とジャズ教室を開いていらっしゃいました。ここにはライブできるスペースが食堂にあり、以前から山岡未樹さんも生徒さんを連れてスキー合宿をされていました。
この大人の遠足でも当然、萩谷師匠を中心にみんなで演奏をしようということになり、ただセッションでやるのはつまらないからということで
GTORというユニットを結成します。ここのGというのは彼女のご主人で
ニックネームが「がっちゃん」から来ています。彼はベーシストです。
本職は京都では今は数少ない染め物職人さんです!
Oが彼女、Rは良一さん(ほんとうはよしかず)。
しっかり、曲もキメも 準備してしょっぱなを飾ります。
あとはセッションタイム、流石さんもギターやスチールギターで飛び入り
延々とセッションが続きます。
Rさんの本職 ヴォーカルですが、実はこの年の始めに京都での萩谷清ライブがあり、その翌日のセッションでRさんがドラムを叩いたらかなりいい感じということでRさんはこのときはドラマーでした。
このペンションのオーナーの流石さんは菅平ジャズフェスティバルを運営されている方で実はこのペンションの裏に或る建物を建設していたのでした。
「来年からはここで録音できるから!使って!」
まさかね、正直半信半疑でしたが。
これが、後々色々なことに繋がるなど。。。思いもよりませんでした。

(その参)

菅平とエンジニアの木村さん
ホテルマッキンレーのスタジはどうみても外見が体育館(失礼)
中は練習ホール。なのでそれなりにものだろうというのが第一印象。それから年月が経つのです。
エンジニアの木村正和氏、VMEでは「Method」はじめとして
数多くのレコーディングでお世話になっているエンジニアさんです。
或るとき「菅平でレコーディングして来ましたよ!」と仰る。
「それもしかして流石さんのところですか?」と私。
聞いてみると平原綾香さんの「そら」じゃありませんか!
なんと素晴らしい空気感。
「さすが(流石)菅平!」と思わず。
菅平のもつ清涼な空気感と流石さんのスタジオの自然なリバーヴが見事に作用しているのに驚かせられました。
そして、次の録音テーマ「L5ブラザース」をそこで録音することに迷いはありませんでした。
二人のギタリストの直居隆雄さんと萩谷清さんとがGibison L5を使ってのDuoなのです。こちらはアンプを通したものの、見事にその空気をインクルードして一発録りのライブ感が演出されています。
http://amzn.to/NSGqBQ

そして、その後は亡きジョンレノンをトリビュートした、萩谷清
「イマジン」と繋がります。こちらは打ち込みを含んだアルバムに菅平の空気を重ねるという試みです。
あさばみほさんや、粥川なつ紀さんの参加で見事な音に仕上がりました。
Help:
http://bit.ly/sLiI2k
ノルウェーの森
http://bit.ly/v20KUh

もう、ここを使わない手はないでしょ。


(その四)

彼女は2005年くらいから唄をうたうようになります。
ある夏期親睦会に久しぶりに登場して来ました。
その時の彼女が自分で作詞作曲するシンガーソングライターになっていました。
その時からが夢を具体化する一歩に入ったのだと思います。
その曲はやさしく、深みがあり、その詞は独特の世界観があります。
それからしばらくして京都のRAGへ訪問した折りに、会う機会があり。
私、最近ファンが出来たんです。
ライブをやるとけっこう人が入るんです。っと。
だから、その時に折角来たついでに何か渡したい、そうCDでも渡したい。
という話が。
その時の彼女はまだ、軽く考えていました。
ライブの音源をCDに焼いて安く売る、そんな程度だったようです。
後に音源を聴かせてもらいましたが。
演奏や唄の問題以前に音質が今ひとつでした。
ライブは臨場感があるし、その場の雰囲気が大事。でも音だけになったら
ライブで感動して帰った人が後で聴いてみると、あれって思わないだろうか。

だから、私は反対しました。
CD作るならちゃんとレコーディングしましょうよ。と。
別にハコで重ねて録らなくてもいいので、構成はライブ的で構わないので
ちゃんと録りましょうよと。

それから、数年にわたり彼女達の悩みが始まるのでした。
時は韓流ブーム、その間に年齢層の高いファンはどんどん増えていくのでした。

なんだか、既に流れは出来ていたんでしょうね。

(その伍)

ライブの音源をCDにするというのはある意味理由があるのです。
それは弾き語りだからです。
普通にスタジオで録音したとしてもピアノの音と唄は混じってしまいます。
従ってJAZZなどと同じように基本一発録りになります。
なので、ライブなどで演ったものを録っても演奏は基本それほど変わりません。
しかし、音ばかりはもっと複雑な要素が絡みます。
マイク、場所、録音技術、色々なものが絡んで来ますから。それは私は判っていたつもりなので
強く進めなかった(暗に反対した)理由です。

その間実に5年程消費しますが。
試行錯誤を繰り返していました。
ライブを何回録って、1年半程前にこれでどうかという内容でマスタリングまでやってみたところ
あまりクオリティが上がらず、一度ペンディングになりました。
初めてCDを手にした人はラそのCDがライブとは別の楽しみ感が必要だなと思いました。
そうして今暫く迷走することになります。
でも、その間に良かったことは、曲がどんどん出来、ライブの回数を重ね、曲アレンジが洗練されてきたことです。
こうやって機は熟してきたのです。

やがて決断のときがやってきます。

(その六)

(決断の時)
そのユニットは夫婦(めおと)ユニットです。漫才じゃありません。
妻が弾き語り、夫がベースで包み込むようなそんなユニットです。
これだけでももう雰囲気が出て来ます。
曲に
チェロやヴァイオリンが加わります。

さらに加えて詞がキャッチーです。キャッチーという言い方はあまり当たってないですね。言葉に癒されます。
それに加えて昭和なメロディーラインが昭和世代の心をわしづかみにするのでしょうね。
逆に20代以下の若い世代には新鮮に映るのでしょう。
そんな二人に決断の時が来ます。
忘れもしない2011年12月8日です。
二人はもう気付いていましたね。中途半端なものを造るのは駄目だと。
思い切って清水の舞台から飛び降りる決断をしたのです。
造るなら一生もののモノを造ろう。
50歳を過ぎてから造るのだから渾身の一枚を造ろうと。
貸し切りの居酒屋で決断をしたのでした。
録音場所は「菅平」
エンジニアは同じ場所で平原綾香さんの「空」と録った方
菅平の空気感と弾き語りを混ぜてCDにしようと。

ついに決断したのでした。
50歳を越えてからのCDデビュー。
ユニット名は「風花(かざはな)」
アルバムタイトル「心の花」

(おまけ)
シメサバの会というのがあります。それはこの冬に閉店してしまった、つきみ野の「吉之助」というお店のシメサバが圧倒的に美味しくて、我が萩谷清師匠や萩谷雅和先生、そしてシメサバ大好き人の澤辺良一さん等が集まってシメサバを食べる事になっています。
その「吉之助」という店が閉店することになり、2月にシメサバの会が実施されたのでした。
その席での話題は勿論菅平での録音でした。
そして座は盛り上がるうちに師匠の英断が出たのでした。
師匠自ら協力しようと。
その流れで、師匠と彼女が憧れるピアニストさんに助けを求む
ということで菅平と東京での二カ所の録音が決まったのでした。
その後打ち合わせが進むに連れ、菅平ではバイオリンとパーカッションが加わる事に。
レコーディングの日記的なものは本人に任せるとして。
このアルバムは11月16日発売です。

http://amzn.to/VhYx8N

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多賀谷さんには、プロデュースだけでなく、
アルバムにギタリストとしても、参加していただいています。
また、ステキな写真掲載のブログも、必見です!!

Ready to Fly
http://tezguitar.exblog.jp/

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レコーディング終了しました。 [レコーディング日記]

梅雨月の菅平高原。
そして、夏の東京。
無事、録音を終了できる事ができました。

まだまだ作業は残ってるので、気を緩めてはいけないのですが、
弾くこと、歌うこと、、はオシマイ。
録音する事に対してのプレッシャーからの開放感と同時に、
少しの寂しさもあります。
レコーディングで学んだ事、ライブ活動に生かせればと
思っています。

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今回のレコーディングは、ギター&ピアノ&サックスを、
わたしが、尊敬し憧れ抱いていたミュージシャンの方々に
アレンジ&演奏していただきました。
ヘッドホンから、音が聞こえてきた瞬間の感動は、この上もないものでしたが、
けれど、冷静に、、冷静に、、その音の中に吸い寄せられるように、
包まれるように、歌入れができました。

ミュ-ジシャンの方々の事は、書き出したら長くなるので、
また、後日、感動の余韻が醒めてから(^_^;)
書かせていただきたいと思っています。
風花のレコーディングに参加していただき、
どうもありがとうございました。


秋の東京で、菅平で録音済の音源も含めミックス、マスタリング。
音作りは終わります。
年明けから準備に入り、右も左もわからない事ばかりの中、
春の東京での、VMEの多賀谷さん、エンジニアの木村さんとの
初回打ち合わせの時の、不安材料いっぱいでしたが、
ひとつづつ、解決していっていただき、
また、現場でも、レコーディング不慣れな、風花を支えて下さり、
和やかな環境の中、レコーディングができました。
どうもありがとうございしました。


さて、、次は、、、
ジャケット、、、
う---むっ、、どうしょうか--。
CDの顔でもあるので大切。
しばらく悩みそうです。

いつか撒いた夢の種。
晩秋の空の下、
実が熟しそうです。

咲かせましょう
わたしの夢の花、、、♪




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初夏の高原でレコーディング♪ [レコーディング日記]

~いつか夢みていた光景の中に自分がいる~

鳥が囀り、春蝉の声聞こえる、自然の中のスタジオ菅平高原で
初レコーディングをしてきました。
自分の音楽と向かい合った二日間。
新たな景色の中への、最初の一歩、、、。

ライブとレコーディングは全く別物とはわかっていたけれど、
マイクの種類も違うので、ピアノの前からの視野が全く違う。
ヘッドホンで全体の音、自分の音、声をモニタリングしながら
歌うのも不思議な感覚。
また、緊張感ある中での集中力の持続が必要だし、
時間制限の中で作り上げなければいけない事へのプレッシャー。
今回は、せ~の~ って一発録音がほとんどだったので、
自分が間違えれば、、というプレッシャー。
そして、演奏後は、自分の演奏を客観的にモニタリングして、ジェッジする力。
はじめての事ばかりで、右往左往のスタートでしたが、
エンジニアさん、ゲストミュージシャンの方々、プロデューサーのお力添えで、
一曲仕上げる度に、少しづつですが、自分なりの解釈はできつつあり、
二日間の予定曲を、無事、録り終える事ができました。

一日目は、朝9時~夜10時頃まで、、、
二日目も、夕方5時頃まで、、、
よくぞ、喉、、元気でいてくれました。
ペダルを踏む足は、かなりの筋肉痛でしたが、、、。

お世話になった皆様。
ホテルマッキンレーの皆様、
ありがとうございました。

夏の録音の時は、少しは成長できてればと思っています。


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